(備忘録)スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯(東洋と西洋の弟子による) 冒頭
スワーミー・ヴィヴェーカーナンダはインドではその誕生日が国民の祝日になっており、オバマ大統領、トランプ大統領、安倍首相(いずれも現職時)がインドを訪問すると、ヴィヴェーカーナンダと自分や自国がどれくらい縁が深かったかをアピールする、インドが誇る偉人です(たとえば安倍首相の場合は、岡倉天心とヴィヴェーカーナンダが肝胆相照らす関係だったことをインド国会の演説で強調して拍手喝采を受けました)。ニキーラーナンダのコンパクトな「生涯」はすでに日本ヴェーダンタ協会から翻訳され出版されていますが、この東洋と西洋の弟子による「生涯」は1200ページ超のボリュームがあります。ヴィヴェーカーナンダの書籍は、ヨガの四つの書籍(ラージャ・ヨガ、バクティ・ヨガ、カルマ・ヨガ、ギャーナ・ヨガ)をはじめ、シカゴ宗教者会議の発言も読んでおり、一応は知っているつもりでした。しかし、この「生涯」を読み、想像をはるかに超えるすごい人物だったことを思い知りました。
冒頭だけ引用します。執筆者たちがヴィヴェーカーナンダのことを「激しくも崇高な実践の人生を歩み、超感覚的な生命の輝きを生きて見せた」と言い表し、「われわれは、深い畏敬の念をもってこの伝記の執筆に取り組んでいる」と語っていること、その通りだと、強く共感します。
「はるか遠くより聞こえてくる静寂の声がある。それは、神秘家や聖者以外めったに耳にすることができない。その声が、人間の耳に届く言葉となってこの世に現れるとき――その時代はなんと祝福されたものであろう。その言葉を聞く者は、なんと幸いであろう。
無限の霊はかたちを持たず、その幻影は主観的なものである。だが、この宇宙には現実を覆い隠す濃い幻影のヴェールが立ちはだかっているのだ! それゆえ、無限の霊の幻影を越えて霊のヴィジョンを現実のものとする人格がいかに神聖であることか! たとえヴェールの端をわずかに持ち上げた者であっても、その人生の物語はこの上なく尊い。こうした霊性に満ちた人格の輝きの中では、幻影は透明となり、無限の霊が姿を現すのである。そのとき、人々はリアリティそのものと対峙することになる。
スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯を語ることは、霊的な人生そのものを語ることに他ならない。彼の中には、知的な葛藤、深い疑問、燃えるような信仰、そして魂の覚醒という一連の過程がすべて明らかに示されていた。
一人の人間として、そしてヴェーダーンタの実践者として、彼は「聖なる男らしさ」と「男らしい聖性」とを見事に体現していた。
ダルマ(正しい道)に目覚めた者としての愛国心、そして万物に神を見た者に宿る普遍的な精神――それらすべてが彼のうちに備わっていた。深い霊的知恵の眼をもって、彼は激しくも崇高な実践の人生を歩み、超感覚的な生命の輝きを生きて見せたのである。
われわれは、深い畏敬の念をもってこの伝記の執筆に取り組んでいる。なぜなら、いかに小さき人であっても、その内面を完全に知ることは困難であり、ましてやヴィヴェーカーナンダのような人物の深淵に触れることなど、誰に可能だろうか。とはいえ、その偉大な生涯が、インドの心を、そして西洋の理性を震わせたという事実は、やはり世界に伝えられねばならない。」