賢治讃(1990年代)

 -まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう

 ぼくは、昔から賢治が大好きだった。 
 それが、賢治生誕百年もきっかけになって、最近しばしば賢治がとりあげられる。 お陰で、賢治に関するさまざまな本やCD-ROMを本屋で入手し、賢治の世界にどっぷりと浸る贅沢を、心ゆくまで満喫できるようになった。

 賢治が生み出す作品は、夜空に燦然と輝く清浄な星星のようだ。シリウスのようにひときわ異彩を放つ光もあれば、すばるのように、あこがれとやさしさに満たされた光もある。かと思えば、地平線すれすれに、幽かに見えかくれしながら、あたかも「これが幸せです」とでも言わんばかりに満ち足りた光を放っているものもある。 
 妹の死を悼むこころからのレクイエムを詩に凝縮した「永訣の朝」。何と澄み切った純情だろう。また、「セロひきのゴーシュ」にみられる、弱者に対するやさしい気持ちと動物たちとの不思議なこころの交流を散文に綴った珠玉の童話集。
 いずれも、読む人のこころの琴線に触れ、いつしか涙を流さないではおかないのだ。
 こうした賢治の作品の、どれが代表作で、どれが駄作かなどと論じることは愚かしい。すべてがみなすばらしく、かけがえのない存在感を主張している。それほど賢治の世界は多面的な魅力がある。
 それは、あたかも虹色の光りを放つダイヤモンドのようだ。賢治という多面体をさまざまな角度から覗き込むと、その視座の相違に応じて異なる輝きを放つのだ。東北の自然や動物の様相がいかに彼の作品の中にみずみずしく反映されているか。彼の地学、化学への傾倒ぶりがどのような形で作品に盛り込まれているか。鑑賞する人により賢治の世界は異なる彩りを放射する。

 しかし、ぼくは、賢治の心象風景の原点を、彼の詩集「春と修羅」の中に見る。 
 その「序」で、彼はこう述べている。

 「これらは二十二箇月の
 過去とかんずる方角から
 紙と鉱質インクをつらね 
 (すべてわたくしと明滅しみんな同時に感ずるもの)
 ここまでたもちつづけられた
 かげとひかりのひとくさりづつ
 そのとほりの心象スケッチです。
 これらについて人や銀河や修羅や海胆は
 宇宙塵をたべ
 または空気や塩水を呼吸しながら
 それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
 それらも畢竟こころのひとつの風物です
 ただたしかに記録されたこれらのけしきは
 記録されたそのとほりのこのけしきで
 それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
 ある程度まではみんなに共通いたします
 (すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
  みんなのおのおののなかのすべてですから)」

 賢治は、自分の作品を、「心象スケッチ」と呼んでいる。賢治のこころに浮かぶ心象風景を、あるがままにスケッチしたもの、それが賢治の詩なのである。 賢治の詩は、賢治という「個人」のこころが織りなす心象風景である。しかし、賢治以外の存在にも理解しうる共通の基盤があると賢治はいう。
 なぜなら、賢治にとって、全存在、全宇宙は、賢治の「こころ」が認識した結果存在するものだからである。たとえば、他人は、賢治の「こころ」に認識されて、初めて賢治にとって存在することになる。賢治が宇宙を眺めれば、それは、賢治の「こころ」の中に全宇宙が存在することに他ならないのだ。
 賢治以外のわれわれひとりひとりも、われとわがこころの中に全宇宙を宿すことができる。そして、宇宙は一つだ。森羅万象を網羅する唯一の実在を、われわれは皆「こころ」の中に宿しているのである。
 
 賢治は、「こころ」あるものは人間に限らないとみる。生きとし生けるもの、そのすべてに「こころ」があり、その「こころ」の中に、全宇宙を宿すことができるとみる。いや、「生きとし生けるもの」だけにとどまらない。賢治は、銀河にすら「こころ」があると考えていた。
 これは、詩の修辞法の一種であり、何かの比喩だろう。現代詩特有のわかりにくい、抽象的な表現を、賢治もまた真似たに違いない。最初にこの詩を読んだときはそう思った。あまりにも常人とかけ離れた感性だったからだ。
 しかし、今では、賢治は心底銀河にも「こころ」があると信じていたことがよくわかる。賢治は、こころに感じたままを、きわめて写実的に、そのままの姿でスケッチしている。 この賢治の人生観の裏に、「三界唯心」を初めとする仏教思想を読みとることは容易だろう。今は、この点について深入りはしない。重要なのは、賢治が、生きとし生けるもの、そのすべてが対等で、かけがえのない生命を持っていると観たことだ。
 なのに、我々人間を含め、生物は、生きるために、食うために、他の生物を害さないではいられないという「業」を背負って生きている。
 これが、繊細な賢治のこころに深刻な悩みをもたらしたことは想像に難くない。
 「なぜ、生物は、他の生物を害しないでは生きていけないのだろうか」 
 すべての生き物のいのちの、かけがえのなさを認めるがゆえに、この問題は、賢治のたましいに解く術のない難題として鋭い刺のように突き刺さった。
 賢治の生涯は、「いのちの尊さ、いとおしさ」と「自分のいのちを大事にすれば、他のいのちを犠牲にせざるをえない現実」との間の矛盾を超克するために捧げられたといっても過言ではないように感じるのだ。ぼくには、賢治のたましいが苦しみ、のたうちまわる様子が見えてくる。

 詩集「春と修羅」で、賢治は次のようにも記している。

 「 いかりのにがさまた青さ
  四月の気層のひかりの底を
  唾し はぎしりゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (風景はなみだにゆすれ)」

 帝釈天に戦いを挑み、逆に散々に打ち負かされ、血に染まりながら戦場に横臥する修羅の群。賢治は自分をそうした修羅の一人であるという。
 皮肉なことに、賢治が真珠のように汚れなく気高い作品群を生み出し得たのは、かかる苦悩あってのことであった。

 「よだかの星」の中で、よだかは、鷹に殺される恐怖に怯えて飛び回る。そのよだかも、生きるために一晩で何匹もの甲虫を食べねばならぬ。この矛盾に悲しみ苦悩するのは、賢治自身の姿ではなかったか。 
 賢治は、こうした悲しみ、苦悩を機縁として、より高い境地へと天翔る。

 よだかは夜空に輝く星になった。

 星になったのは、よだかだけではない。 「銀河鉄道の夜」では、蠍(さそり)の話が出てくる。いたちに追いつめられ、井戸に落ちて死ぬ刹那に、蠍は神様に祈る。

 「ああ、わたしはいままでいくつもの、ものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生懸命にげた。それでもたうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちに呉れてやらなかったらう。そしたらいたちも一日生きのびただらうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずにどうかこの償には、まことのみんなの幸のために私のからだをおつかひ下さい。」 
 
 蠍もまた星になった。 
 
 ジョバンニは、カムパネルラに、こう言う。

 「僕はもう、あのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか、百ぺん灼いてもかまはない。」

 苦悩、深い悲しみの中で、自分の生命を尊重する利己主義は、今度は徹底した利他主義に変容する。そこには、個を超越して、衆生救済を念願する菩薩の姿が見え隠れする。
 賢治のこうした珠玉の作品集は、賢治が普段こころに感じたそのままを記しているのだろう。その気高い人格、利他主義は、実生活にも反映されている。

 それは、次のエピソードからでもわかる。賢治が故郷の花巻の農学校で教師をしていたときの話である。 賢治の教えるクラスに、盗癖のある学生がいた。 ある時、賢治はこっそりとその学生を呼んで、
 「Tよ、お前とおれが、こうして先生となり生徒となったのも何かの因縁があったからで、おれは嬉しい。おれは兄で、お前は弟のようなものだ。これからほんとうの兄弟になろう。しかし、お前はどうして人のものを取るのだ。なんでもお前の欲しいものをやるから人の物を取るな。おれの月給を全部やってもよい。足りなければ借金してでもやる」と言って、何がしかの金を渡そうとした。
 しかし、Tは
 「先生、すみませんでした。これからは絶対に人のものに手をつけません。お金も要りません」と泣きながら詫びた。 
 賢治のような暖かい慈しみに触れて、どうして人間は悪人にとどまれよう。 そこには、Tを更正させるための演技や計算などは何もない。ただあるのは、Tに対する思い遣りのみである。
 賢治は、先にあげた「銀河鉄道の夜」の中でジョバンニがカムパネルラに語ったとおり、利他的に生きた。とても幸せだった教師の職を擲(なげう)ち、農民のため、農業振興に力を尽くす。その結果、身体を壊し、肺病に病んで若くして死なねばならなくなった。

 その賢治といえども、現実の生活で個を超越することは、簡単ではなかった。迫りくる死に対する恐怖の前でおそれおののく賢治。 頭の中では、死後の救いを信じ、そう自分に言い聞かせ、納得したはずなのに、死に対する本能的な恐怖は、そんな賢治の努力を嘲笑うかのように、賢治を責めさいなむ。

 「こんやもうここで誰にも見られず
  ひとり死んでもいいのだと
  いくたびもさう考へをきめ 
  自分で自分に教へながら
  またなまぬるく
  あたらしい血が湧くたび
  なほほのじろくわたくしはおびえる」  

 賢治という肉体がなくなった時、何が残るのか。 一切の存在がなくなるのだ。世界がそのまま存続していても何になろう。
 そういう怖れ、もがき、苦しみ、空虚感を乗り超え、しかし、死ぬ直前に賢治は、悟りの境地に達した。一生をかけて悩んだ悩みに、ついに答を得ることができたのだ。 吐血し、まるで修羅のように血まみれになり、一睡もできず、死期が近いことを知りながら、それでも賢治は「のんきで苦しくない」といっている。
 そして、次のように述懐する。

 「あなたの方から見たらずいぶんさんたんたるけしきでせうが
  わたくしから 
  見えるのは
  やつぱりきれいな青ぞらと
  すきとほつた風ばかりです」

 こうして賢治は、修羅から菩薩になった。
                                       (完)