(覚え書き)量子、この不思議なもの(2021/01/23~30)

2021年1月31日

 原子や電子などミクロの世界の現象を説明する科学が量子力学である。ミクロの世界では、マクロの世界の常識が通用しない。しかし、そんなことはお構いなしに、この量子の性質を応用し、実用化するために、世界の研究者たちがしのぎを削っている。
 量子力学は半導体に応用され、現代の情報産業を支えている。トランジスターにはじまり、CPU、GPU、メモリーなどなど。パソコンもスマホもクラウドも量子力学がなければ存在しなかった。GAFAMは量子力学がなければ存在しなかっただろう。自動車、オーディオ、テレビにも半導体は多用されている。もし量子力学がなければ現代の我々の生活は、今とはまったく違ったものになっていただろう。
 相対性理論は、物質とエネルギーが等価であるという事実を明らかにした。従来の宇宙観を根底からくつがえす、革命的な理論である。実用的な面でも意義は小さくなく、原発やおそらく数十年後には基幹エネルギー源となっているだろう核融合の利用への道を切り開く役割を果たした。しかしながら、社会や経済へのインパクトだけでみると、量子力学は相対性理論をはるかに上回っている。

 量子力学の応用は今も続いている。中には、これまで理論的な可能性や思考実験にとどまっていたものが、実験で確かめられ、実用化の一歩手前まできている、あるいは一部実用化が進められているものも登場してきている。

 代表例が量子暗号通信である。
 光は観測されない間は波として振る舞い、観測されると粒子として振る舞う。この性質を利用し、暗号を解読するための「鍵」を微弱な光の粒である光子に乗せる。誰かがこの「鍵」を盗み見すれば、とたんに光子は粒子として振る舞う。これを検知装置で検知することで盗み見や改ざんを検知するのである。または波が乱れることを検知することでもよい。すでにスイス、中国の企業が実用化しており、日本では東芝が2020年度中に事業化する予定であると報じられている。

 それにしても、光は波なのか、粒子なのか。また、なぜ観測により「波束は収縮」し、粒子的に振る舞うのか。その粒子の状態は観測前は確率的にしか記述できない。観測は新しい世界を生み出すトリガーになっているのか。経済学に革命を起こしたゲームの理論の創始者であり、近代ロケットの父、さらに現在のコンピューター(「0」「1」のビットで計算され、「ノイマン型コンピューター」と呼ばれる)の生みの親である、20世紀で最も偉大な数学者、フォン・ノイマンも、「波束の収縮は、数学的に記述できない」としている。
 アインシュタインは確率論的にしか記述できない量子力学は、つじつま合わせの未完成の理論であると考えた。シュレーディンガーは波動方程式の重ね合わせで光の粒子的な性質を記述しようと悪戦苦闘し、結局あきらめざるを得なかった。ボームやハイゼンベルクは、観測された対象のみが実在するという立場を崩さず、ボームは光の波としての性質と粒子としての性質は両立せず、どちらか一方しか観測できないが、どちらも重要であるとして相補性の考え方を提唱した。ハイゼンベルクは行列力学から不確定性原理を導き出した(不確定性原理は、シュレーディンガーの波動方程式からでも導出できる。シュレーディンガーの波動方程式とハイゼンベルクの行列力学、ディラックの量子代数は記述方法は異なるが、数学的にはまったく等価である。この3つの理論は、いずれも1926年に完成した)。

 量子コンピューターはもっと不思議である。現在のノイマン型コンピューターは「0」と「1」のビットで情報を表す。量子コンピューターも量子ビットが最終的に「0」か「1」の値を持つことになるが、観測されるまでは「0」と「1」の両方の性質を持つ。
 これをコインをトスして表(0)か裏(1)かを決める場合にたとえる。トスしてくるくる回っている間は0か1か分からない。落ちてきたコインをつかまえて回転を止めてはじめて0か1かに確定する。この観測前のくるくる回っていて0か1か確定していない状態を「量子重ね合わせ」の状態にあるという。
 量子コンピューターでは、こうした量子重ね合わせの状態にある複数の量子を観測により一度に状態を確定させることで0か1かの答えを出す。量子重ね合わせの状態にある量子が10個ある箱(10量子ビット)を観測すれば、10量子ビットそれぞれの「0」「1」の組み合わせ(ノイマン型コンピューターであれば1024通りの計算結果を出す必要がある)が一度に決まる。量子重ね合わせの状態にある量子が50個ある箱を観測すれば、ノイマン型コンピューターであれば1100兆通り以上の計算結果を出す必要があるところ、一度に結果が出る。この観測の結果確定したビットの組み合わせが答えになるような計算のアルゴリズムをいかに組むかが量子コンピューターの肝である。

 量子コンピューターもまだ試作段階に近いがすでに稼働しており、数社が開発を競っている。IBM Quantumは私たちもWEBサイトで一部体験することができる。IBMは一度に100量子ビットを処理することを目指しているとのことである。これが実現すると、1回の観測で1100兆の2乗通りの組み合わせの中から100個の量子ビットの値が確定する。
 量子コンピューターは、今現在で最高性能のスーパーコンピューターでも1億年以上かかる2048ビット長の暗号鍵の計算を実用的な時間でこなしてしまう潜在能力があるらしい。こうなると、どんな高度な暗号も無力になり、今のパソコンのセキュリティ対策は意味をなさなくなる。ビットコインなど暗号通貨もマイニングが瞬時にできてしまうため、無価値になるかもしれない(まだずいぶん先のことではあるが)。 

 ところで、この量子重ね合わせの状態は、マクロの世界の常識の理解を超えている。
 話を単純にしよう。ここに一組みの紅白まんじゅうがあって、2個の箱(箱Aと箱B)の中にそれぞれ1個ずつまんじゅうを入れておく。箱Aの中身は、箱を開けてみないと分からない。
 私たちが暮らしているマクロの世界では、箱A(および箱B)の中のまんじゅうが赤か白かはただ箱という障害物によって見えなくなっているだけであって、開ける前からまんじゅうが赤か白かは確定している。つまり、まんじゅうが赤か白かは、「不確定」ではなく「未知」なだけである。しかし、量子力学ではそもそも観測するまでは、箱A(および箱B)の中のまんじゅうが赤か白かは不確定の状態にあり、赤と白の「重ね合わせ」の状態にあるとするのである。
 これがニールス・ボーアやハイゼンベルクら量子力学の主流派の解釈であり、「コペンハーゲン解釈」と呼ぶ。
 これに真っ向から異をとなえたのが、アインシュタインとシュレーディンガーである。アインシュタインは量子力学の黎明期、「光電効果」で光が粒子的な性質を持つことを示し、この業績でノーベル物理学賞を受賞した。シュレーディンガーは先に述べたように、波動方程式を発見し、同じくノーベル物理学賞を受賞した。ちなみに、シュレーディンガーの波動方程式は虚数値を含む波で、マクロの世界の波とは異なっている。後にボルンによって波動方程式中のψ(プサイ)を利用して量子の存在確率を導出することが示された。ここに量子力学は完成し、確率論的に記述されるようになったのである(シュレーディンガーはアインシュタインと同様、確率論的な記述に納得はしていなかった。皮肉な話である)。
 アインシュタインは主流派の量子力学の解釈に対してEPRパラドックス(EPRはこの思考実験を提示したアインシュタインら3人の科学者の頭文字)という思考実験を提示した。シュレーディンガーはEPRパラドックスに共感し、後年自らも「シュレーディンガーの猫」という思考実験を提示した。

 シュレーディンガーの猫は、非常に有名で量子論の本では必ず出てくる興味深い思考実験である。余談であるが、映画「君の名は」の最初の方で「エベレット2世の多世界解釈が」的な会話が出てくる。多世界解釈とは、観測の結果状態が確定することについて「観測の都度世界が分岐する。観測者は観測の結果分岐した世界の一つにいて、他の世界のことは知り得ない」と説明する。これをマクロでたとえると、たとえば箱Aの中身が赤という世界と白という世界、観測するまでは両方の可能性があったのだが、観測した結果世界が分岐し、たとえば中身が赤いまんじゅうだったら、私たちは箱Aの中身が赤いまんじゅうの世界にいる(分岐した中身が白いまんじゅうの世界のことは知り得ない)、と解釈するのである。これなら量子重ね合わせという概念は出てこない。これはシュレ猫でコペンハーゲン解釈が猫の状態について奇妙な説明の仕方しかできないことに対しエベレットが提示した解釈である。シュレ猫については今回はこれ以上の説明は割愛し、EPRパラドックスと非局所性をとりあげる。
 EPRパラドックスをあえて簡単なたとえ話で説明する。先の箱Aを地球に、箱Bを地球から200万光年離れたアンドロメダ星雲の中のある惑星に置いたとする。マクロの世界であれば、地球にある箱Aをあけて中のまんじゅうが赤だったとする。すると、200万光年先にある箱Bの中のまんじゅうが白であることが瞬時にわかる。これは推論による論理的帰結であって、アインシュタインの「光よりも速いものはない」という特殊相対性理論とまったく矛盾しない。
 しかし、コペンハーゲン解釈が言うように、箱Aの中のまんじゅうが観測するまでは赤と白の重ね合わせの状態にあり、赤でも白でもなく、観測してはじめて赤(白)のまんじゅうが確定する(=存在するようになる)と仮定する。赤か白かは観測するまでは重ね合わせの状態にあって、どちらになるかは確率論的にしか記述できないとする。すると、地球にある箱Aの中身を観測してそれが赤いまんじゅうだったら、なぜか200万光年先にある箱Bにもその情報が瞬時に伝達されて、中身が白いまんじゅうになり、箱Aの中身が白いまんじゅうだったら、同じく瞬時にその情報が箱Bに伝達されて中身が赤いまんじゅうになる。これは、明らかに「光より速いものない」という特殊相対性理論に反する。
 アインシュタインは、そもそも確率論でしか記述できない理論は、いくら現実をうまく説明し、予測することができたとしても、不完全理論であると考えた。ハイゼンベルクと会ったときにアインシュタインは「月は見るまでは存在しないのか?神はサイコロを振り給わず」と言い放ち、ハイゼンベルクは衝撃を受けた(ちなみに、量子的揺らぎのために、厳密に言うと実際に月は見ないと位置が確定しない)。アインシュタインは、光より速く量子間で情報が伝わることを「お化けの遠隔力」と呼び、そのような考えを忌み嫌った。
 これに対しボーアは「観測されるまでは赤いまんじゅう、白いまんじゅうという現象はない。アインシュタインは存在しないものを前提に議論しており、そもそも議論の前提が間違っている」と反論するだろう。また、一度対になった量子は同じ系にあり、それをあたかも分離するような局所的な条件を仮定することは愚かしい、と一蹴する(非局所性)。

 EPRパラドックスについては実験により実際に確かめられている。上記では紅白まんじゅうをたとえにつかったが、量子には「量子もつれ」という現象があって、一対の量子のうち片方が上向きのスピンならもう片方は必ず下向きのスピンとなるようなペアがある。この対になった量子間の距離は、数メートルか、もっと遠距離になるものがある。箱Aをまず観測し、そこから少しだけ時間をずらして箱Bを観測する。ずらす時間は、箱Aから箱Bまでの距離を光が移動する時間よりも短くする。こうすれば箱Aを観測した結果、箱Bの状態に光速より早く作用したのかどうかが確認できるのである。1982年にフランスのアスペらが実験したところでは、箱Aを観察したとたん、光速より早く瞬時に箱Bの状態が確定した。敗れたのは相対性理論の方だった。つまり、光より速い情報伝達を可能にする目に見えない実在があるのだ。もっともこの実験結果はさまざまな解釈の余地が残っているようである。

 相対性理論が正しいかどうかとは無関係であるが、この量子もつれを利用したのが量子テレポーテーションである。量子もつれの関係にある2つの量子の一方の状態を観測すると同時にもう一方の状態が確定することを利用したものであり、上記の例でいうと、箱Aを観測すれば箱Bの状態も確定するということを利用する。別段箱Aから箱Bにまんじゅうが物質的に移動するわけではなく、宇宙戦艦ヤマトに出てくるワープとは異なるが、箱Bの量子がいきなり出現することになる。うまくいけば、何らかの通信手段に使えるかもしれない。この量子テレポーテーションについては、ヨーロッパ、日本で成功し、最近では中国の研究者が地上と宇宙間で実験で成功させたと報じられた。

(次回予告)
 もし「量子もつれ」の状態にある一つの系が地球と200万光年隔てたアンドロメダ星雲ほどの距離があるとする。非局所性のために地球の量子を観測すれば瞬時に200万年光年も先のアンドロメダ星雲の量子に作用する。相対性理論では説明できないこの事象をどう考えればよいのだろうか。コペンハーゲン解釈では「観測するまで現象ではないことについて議論するのは無益」ということになるが、もっと別の説明の仕方はないのだろうか。
 一つの仮説がデビッド・ボームの「ホログラフィー宇宙論」である。ホログラフィーは光源が半分になってももっと少なくなっても不鮮明にはなるが元と同じ三次元立体映像が映る。それぞれの光源が全体の三次元立体映像の情報を持っているからである。それと同じように宇宙のあらゆる場所に宇宙のあらゆる情報が畳み込まれており、この我々がふだん見ている宇宙(明在系)は目に見えない裏側にある宇宙(暗在系)の反映にすぎない、とする。

(あとがき)
 アインシュタインは量子力学の確率論的記述に納得がいかなかった。それでいかに現実の事象がうまく説明できようとも、それはいわゆる発見論的価値しかない一部の間に合わせに過ぎないという訳である。ボーアに何度も思考実験で挑むが、その都度ボーアはうまく切り返した。そして、確率論的記述であっても、量子論は現実を予測することに関しては敗北知らずであり、幾多の検証をくぐり抜けてきている。だから、現実的にはアインシュタインやシュレーディンガーのような問題提起はあくまで解釈問題であって、哲学の相違のようなもの、実益はない、ということに落ち着いているようである。
 文系人間なので、量子力学を学んだ人が量子論の解釈問題をどのように感じているか、よくわからないでいた。昔、物理学を専攻し会社に入ってきた秀才に、解釈問題についての疑問をぶつけると、「量子は観測するまでは現象ではない。そんなもんだと思えばそう思えてきて、不自然には感じなくなりますよ」という答えだった。そんなもんなんだ、と納得した記憶がある。
 量子力学の世界では、コペンハーゲン解釈を支持する立場から、アインシュタインは頑固でわからずや。ただいろんないちゃもんをつけて絡んできてくれたおかげでボーアが反論のために様々な角度から問題を考えることができ、コペンハーゲン解釈をより堅牢なものにできた。それがアインシュタインの最大の貢献である、というのが一般的な評価である。
 でも、確率論的にしかものごとを記述できないというのは、どこかしっくりこない。量子力学はあくまで量子の波動的性格を重点にした不完全理論であると感じてしまう。アインシュタインの言う通り、事象をそのまま端的に明快に説明できる理論はないものだろうか。ハイゼンベルク、シュレーディンガーと等価の理論を発見し、反物質の存在をも予言し素粒子論も切り開いたディラックは、「最終的に正しいのはアインシュタインではないか。現段階でコペンハーゲン解釈が正しいと受け入れられているのは、まだ量子力学が未完成であるためであり、いつか、量子力学が改善され、アインシュタインの見地が正当化されるだろう。そのときは、現在重要だと信じている何らかの理論を捨てることになるだろう」と述べている。
 ハイゼンベルク、シュレーディンガー、ディラックが量子力学に関する理論を発見したのは1926年。翌年ハイゼンベルクは不確定性原理を提唱している。量子力学については完成から100年近くが経過しようとしているが、いまだにコペンハーゲン解釈の地位は揺るいでいない。
 その後素粒子理論の研究が進み、超ひも理論が登場し、ミクロの世界の新たなフロンティアは徐々に切り開かれつつあるが、果たしてアインシュタインが納得するような量子力学の展開を、ぼくたちは生きている間にみることができるのだろうか?

 ところで、ホログラフィー宇宙論のボームについて。
 ボームは鬼才である。十数年前か20年前くらい、ボームの論文集を買って読んだことがある。アインシュタインの「隠れた因子」仮説をフォン・ノイマンはばっさり切って捨てたが、ボームはノイマンのそれが不完全証明であることをわずか数ページで軽やかに証明してしまっている。天才ノイマンが数式の展開を間違えたのではない。ノイマンが無害と思って置いた前提が実は結論を大きく左右する場合があることを示したのだ。それでEPRパラドックスが成立するかどうかは、ちゃんと実験で検証すべきであるということになった。それがEPRパラドックスを実験で証明する条件である「ベルの不等式」やアスペの実験につながる。
 また、わずか1センチ四方の空間に、この宇宙全体の質量のエネルギーよりも巨大なエネルギーを宿すことができることも書いている。波はいくらでも重ね合わせでき、それぞれの波は固有のエネルギーを有するので、そういうこともあるのかも知れないとは思いながらも、直感には反する話である。
 「ホログラフィー宇宙論」はEPRパラドックスをめぐる非局所性と相対性原理に反するように見える事象を説明する理論である。別の機会に取り上げたいと思う。

(備忘録 1月23~30日)
 23、24日と「ホログラフィック・ユニバース」を読んでいた。かなり昔の本であるが、最初に出てくるのがボームのホログラフィー宇宙論である。ボームと同じ時期プリンストン大学にいたアインシュタインとの対話やホログラフィー宇宙論につながる思索がとりあげられている。
 23日は社会事業家である賀川豊彦の記念館に行ってきた。2階に賀川豊彦が講演のときに書かれたものが掲示されている。大きな紙に筆で書かれていて、「量子」「ド・ブロイ」、「ディラック」の名前が出てくる。ド・ブロイもディラックも量子力学でノーベル賞を受賞している。ボランティアガイドの方は、「賀川豊彦は大変な勉強家でもあり、講演でこんな難しいことも話していたのですよ」とおっしゃっていた。行いや思想はきわめて立派、書も立派、本を書けば大正を代表する一大ベストセラー、講演は人でいっぱい。加えて講演で量子論のことまで話をされていたとは。郷土の誇り、偉人である。いろんな意味で頭が下がる。
 24日は文化の森に行った。徳島県立図書館でふと雑誌棚をみると、「子供の科学2月号」の表紙に量子コンピューターが載っていた。特集記事では「量子重ね合わせ」や「量子もつれ」のことがとてもわかりやすく解説されていた。
 30日はインターネットに転がっていた、ルネサステクノロジーの奥山技師の「量子力学の確立と半導体への応用へ」を読んだ。そして、今日この雑文をアップさせることができた。
世の中、興味を持てば量子力学のことでみちあふれている。興味がなければ目の前にあってもないのと同じ。観測するまでは存在しない。

 将棋や囲碁で若い世代が活躍している。頭は若い頃が一番切れる。量子力学も天才ならば10歳くらいの子供でも理解でき、ドイツの高校生が量子力学の教科書を書いている(まだ全部読んでいないが、アインシュタインは解釈問題ではわからず屋だった、というニュアンス)。ハイゼンベルクは21歳のときに、ボーアの講義に出てボーアに批判的な質問した。ボーアはその日の午後、ハイゼンベルクを散歩にさそい、3時間ほど議論した。ハイゼンベルクはこの日の経験で非常に大きな感銘を受け、一生を量子力学の発展に尽くすことになる。ボーアは初対面の一介の学生を「ハイゼンベルクはすべてを理解している。今や答えは彼の手中にある。必ずや量子論の困難を解決する道を探し出すに違いない」と評価し大きな期待をかけた。

 ハイゼンベルクは疑いようもなく稀有な天才だったのだと思うが、初対面でそれを見抜くボーアもすごい。天才は天才を知る。

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Posted by 管理人