バガヴァッド・ギーター 神の詩 作業完了 2025年7月3日
6月下旬のSRF僧侶通訳お手伝いから作業開始し、本日終了。備忘録としてはじめにを添付しておきます。
『バガヴァッド・ギーター』:人生の指針としての普遍的英知
「インドの福音書」とも称される『バガヴァッド・ギーター』は、ヒンドゥー聖典の中で最も広く読まれてきた書物です。人生の指南書として、何億もの人々に影響を与え続けています。
マハトマ・ガンジーは、「およそ政治的なことであれ、家庭のことであれ、『バガヴァッド・ギーター』によって指針が与えられない事柄はない」と語っています。また、ギーターは「わが精神の辞書」であり、「毎日の祈り」だったとも述懐し、非暴力(アヒムサー)と自己放棄(サンニャーサ)の精神をギーターから学んだと語っています。投獄中も毎日ギーターを朗読し、「人生のどんな危機も、ギーターの数節が支えになる」と述べています。
ギーターをはじめとするヒンドゥー教の経典は、トーマス・ジェファーソン大統領やジョン・アダムズ大統領といったアメリカの政治家に影響を与えたことは有名です。それだけでなく、アメリカの思想家たちにも大きな影響を与えてきました。
超越主義運動の指導者ラルフ・ワルド・エマーソンは、『不滅』と題するエッセイの中で、ギーターの教えを次のように言い換えています。
「魂は生まれず、死ぬこともない。それは誰からも生み出されたものではなく、生まれず、永遠であり、肉体は殺されても殺されることはない」。
自然の中でシンプルに生きることを賞賛した『ウォールデン』(森の生活)の著者、ヘンリー・デイヴィッド・ソローは次のように書き記しています。
「午前中は、バガヴァッド・ギーターという驚異的な哲学で知性を浸します。それと比べると、わたしたちの現代世界とその文学は取るに足らないものに思えます」。
アメリカ以外でも、アルベルト・アインシュタインは物質と精神の統合という視点からギーターに関心を持ち、「ギーターは精神的な宝だ」と称賛しました。心理学者カール・ユングはギーターを「自己の内的探求の書」と見なしています。
私自身、ベートーヴェンが大好きであるため、特にこの点について詳しく述べさせていただきますが、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンもギーターを人生の指針として読んでいました。以下はベートーヴェンによるギーターの抜き書きです。
「あらゆる激情を抑制して、事の成否を顧みず、人生のあらゆる事柄を精力的に遂行する人は幸せである。」(ギーター第三章より)
「問題は行為の動機であって、その結果ではない。報酬が行為の動機でありそれを目当てとするような人になるな。おまえの生活を無為にすごすな。おまえの義務を果たすために精励せよ。結果と終局が善いだろうか、悪いだろうかと考慮することをやめよ。このようなものに動じないのは精神生活が旺盛であることを示す。そうなれば、叡智のなかに憩いの場所が求められ、貧困と不幸は単に事柄の結果であるにすぎない。まことの賢者はこの世の善悪にとらわれない。だからそなたの理性をそのように働かせるように努めよ。このように理性を働かせることは人生における貴重な芸術だからだ。」(ギーター第二章より)
これは1815年から1816年にかけてのことです。創作面でも私生活でも極めて困難な「停滞と内面的苦悩の時期」にありました。極端に作曲が減り、「ベートーヴェンはもう作曲できなくなった」とまで言われていました。 この時期、ロマン・ロランによれば、ベートーヴェンはインド哲学に没頭していたということです。そして、作曲技法についてはバッハを徹底的に研究します。
その後停滞の時期を乗り越えて、『第九交響曲』や後期弦楽四重奏曲、後期三大ピアノ・ソナタなどの、人類の至宝とも言うべき深い精神性を持った傑作を残しているのはご存じのとおりです。 もちろん、ギーターがあったからベートーヴェンの後期様式が形作られたといった単純な話ではないと思っていますが、ギーターの気高い思想がベートーヴェンの精神に何らかの影響を与えたことは間違いありません。
『バガヴァッド・ギーター』の教えと現代における価値
ギーターは、自己(アートマン)は不滅であること、義務(ダルマ)を果たすこと、無私の行為(成果への執着を捨て、神への奉仕として働くこと)、そして解脱のためのさまざまなヨーガ(神と合一するための方法。瞑想、無私の行為、神の知識、信仰の道など)を説いています。 無神論者であろうと、死後生を否定する人であろうと、ギーターの万古不易の英知からは必ず学ぶべきことがあるでしょう。例えば、すべての行為を神に捧げて行うカルマ・ヨーガは、「毀誉褒貶を一切気にかけず、正しいこと、自分のやるべきことを行え」と言い換えることができ、この言葉に勇気づけられる人は少なくないはずです。
本書を執筆した経緯
このように、『バガヴァッド・ギーター』は人生の指針となり、常に座右に置いておきたい書物であるにもかかわらず、残念ながらそのような用途に適した本を見つけることはできませんでした。
まず、学者の方が書かれた本は、専門的すぎて「人生いかに生きるべきか」という問いかけとは異なる点に重点が置かれていることが多いと感じました。例えるなら、「美瑛の青い池の写真に感動し、自分も青い池をテーマとした素晴らしい写真を撮りたいと思ってカメラの本を買ったのに、読んでみたら中心テーマは戦前からのカメラ業界の変遷やフィルム、撮像素子の進化の歴史のことだった」ような感覚です。
熊澤教眞訳(異なる出典に基づく2種類の翻訳があります)や田中嫺玉訳は非常に優れた翻訳で、読者の皆様にもぜひ読んでいただきたいと思いますが、私にとっては注が少なく、ギーターに書かれている意味が理解できない場合が少なくありませんでした。 例えば、ギーターの精髄とも言われる第十二章の「私に心を集中できなければ、精神統一を訓練して私に達するよう努力せよ。精神統一の訓練もできなければ、私を喜ばせる仕事に専念せよ。私に奉仕することでも汝は完成に達するだろう。このこともできなければ、全く私に身をまかせよ。」(熊澤教眞旧訳)という部分では、「精神統一の訓練」を深い瞑想のことだと誤解すると意味が通じなくなります。また、「私を喜ばせる仕事」、「私に奉仕する」といった言葉の意味が分からず、結局ギーターに書かれている表面的な意味すら理解できませんでした。 (もちろん、今でも私が理解できていることは氷山の一角のまたその一角に過ぎません。ギーターはその人の現在の霊性のレベルでしか理解できないものなのです)。
注釈書は、さまざまなインドの聖者によるものが邦訳・英語訳ともに存在します。注釈書はギーターの内容を深く理解する上で必須であり、本文中心の本書とは別の大事な役割があります。 ただ、ギーター本文だけを読むことも、一種のジャパ・ヨーガ(神の御名やマントラを繰り返し唱えることによって、心を浄化し、神と合一しようとするヨーガの道)であると言われます。そういう用途に限れば、注釈が膨大すぎて、かえって読みにくい面があります。 また、そもそも本が重すぎて、常に携行して読む座右の書とするには不向きな面があります。
ギーター本文だけに焦点をあて、座右に置いて毎日参照・音読することができ、しかも本文の表面的な意味が分かるような注釈がついている本。もしそのような本が日本に存在しないのであれば、自分で作ってしまおう。そう考えたのが、本書執筆の動機です。 以前から、本文と解説のバランスが良い海外の良書(例えばエッグナート・イシュワランなど)を翻訳できないかと考えていたのですが、2025年6月下旬にアメリカからSRF(『あるヨギの自叙伝』の著者で長年アメリカで活躍したパラマハンサ・ヨガナンダが設立した団体)の僧侶が来日され、私も少しだけ通訳のお手伝いをさせていただく機会に恵まれました。空き時間がありましたので、その時間で下訳を行いました。すると、思った以上に作業がスムーズに進みましたので、いい機会だと思い、その後一気に注釈をつけて一週間で完成させました。
底本には、文学的価値のある名訳として評価の高いサー・エドウィン・アーノルドの英訳(1900年)を使用しました。ただし、章のタイトルはよりヨーガに焦点をあてたものに変更し、クリシュナやアルジュナの異名(例えばマドゥースタン、マダヴァ、ゴーヴィンダなど)は読み手の混乱を避けるため、すべてクリシュナかアルジュナに統一しました。内容も他の書籍を参考に、適宜修正を加えてあります。また、「バガヴァッド・ギーターが語られる背景 マハーバーラタのあらすじ」の部分は、1944年に出版されたスワミ・プラバヴァナンダ/クリストファー・イシャウッド訳(オルダス・ハクスリー序文)の『バガヴァッド・ギーター』から抜粋・一部修正しました。
注釈は、特に他の邦訳を読んで意味を理解できなかったこと、そして重要であり折に触れて読み返したいと思ったことを中心につけています。ヒンドゥー教を理解する上では簡素すぎ、注釈も少ないですが、この点はいずれ別の書物でまとめたいと考えています。一方で、ユガなどについては、ギーター本文を理解する上ではやや詳細すぎる部分もあるかもしれません。そのような箇所は読み飛ばしていただいて構いません。毎日ギーターを読み返す際には、注釈のことは気にせず本文だけを読み進めていただければと思います。 それぞれの人が持つ宗教的・哲学的バックグラウンドに関わりなく、ギーターは私たち一人ひとりに切実に訴えかける何かを持っています。単なる教養のためではなく、人生の困難や試練、難しい決断に直面した場合の指南の書として謙虚に向き合えば、必ず私たちに貴重な英知を授けてくれるはずです。
この書が、『バガヴァッド・ギーター』の英知を皆様の人生に活かすきっかけになることを心から願っています。
2025年7月3日 荒木光二郎