「ラーマクリシュナ――その生涯とことば」翻訳完了
マックス・ミュラー博士の「ラーマクリシュナ――その生涯とことば」を翻訳しました。本邦初の翻訳です。伝記の事実部分と、ことばは、マックス・ミュラー博士から依頼を受けたスワーミー・ヴィヴェーカーナンダが兄弟弟子のスワーミー・サラーダーナンダに指示して収集させたものです。
ちなみに、マスター・マハシャヤ(マヘンドラナート・グプタまたはM)が本格的に全五巻の「ラーマクリシュナの福音(コタムリト)」の執筆に取り組んだのに、この本は一役買っています。スワーミー・ヴィヴェーカーナンダがMに、「今やマックス・ミュラー博士の著作でラーマクリシュナの名前は世界的なものになった。その対話録は、現代の福音(コタムリト)だ。ぜひ書くべきだ」と強く勧めたのです。
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序文は下記のとおり。
「ラーマクリシュナ――その生涯とことば」
シュリー・ラーマクリシュナ(一八三三年〜一八八六年)は、田中嫺玉氏がブッダやシャンカラと並び「インド三大聖者」と称えた、十九世紀インドを代表する聖者です。彼は女神カーリーを熱烈に愛し、コルカタ近郊のドッキネッショル寺院を拠点に活動しました。
彼はバラモンの家系に生まれましたが、育ったのは貧しい農村でした。「金を稼ぐための知識」を教える学校を嫌い、公的な教育はほとんど受けていません。しかし、ヒンドゥー教の諸宗派だけでなく、さまざまな宗教の修行を自ら実践し、それぞれの最高の境地を体験しました。その結果、彼は「すべての宗教は、同じ真理に至る異なる道である」という普遍的な真理を悟るに至ったのです。
(本書の歴史的意義)
本書は大きく二部に分かれています。前半はラーマクリシュナの伝記、後半は彼の語録(教え)です。本書には、歴史的に見て三つの重要な意義があります。
第一に、本書は西洋にラーマクリシュナを一つの独立した哲学・宗教体系として、まとまった形で提示した最初期の書物の一つであったという点です。本書が出版された一八九八年当時は、マックス・ミュラー博士をはじめとする数名が、英語の論文や記事でラーマクリシュナを紹介していた程度でした。一方、ラーマクリシュナの言葉の決定版とされるマヘンドラナート・グプタ(M)の『ラーマクリシュナの福音(コタムリト)』は、かろうじてその前年に英語の小冊子が試験的に配布されていた程度でした。Mによるベンガル語原典『ラーマクリシュナの福音(コタムリト)』(一九〇二年から一九三五年にかけて刊行)の英訳は、抄訳が一九〇七年(スワーミー・アベーダーナンダ訳)、完訳が一九四二年(スワーミー・ニキーラーナンダ訳)まで待たなければなりませんでした。また、ロマン・ロランの『ラーマクリシュナの生涯』(フランス語)は一九二九年、伝記の決定版とされるスワーミー・サーラダーナンダの『ラーマクリシュナの生涯――その宗教と思想』も、ベンガル語原典は一九〇九年から一九一九年にかけて執筆され、英訳は一九五〇年代を待つことになります。
第二に、当時の東洋学の最高権威であったマックス・ミュラー博士によって、ラーマクリシュナが好意的に紹介されたことです。オックスフォード大学教授であった博士は、西洋におけるインド学および比較宗教学の開拓者でした。そのようなキリスト教圏のアカデミズムを代表する学者が、健全な批判精神と近代的な学問的方法によってラーマクリシュナを分析し、次のように述べたことは、大きな反響を呼びました。
「神への燃えるような愛、さらには神そのものに完全に身をゆだねる感覚が、シュリー・ラーマクリシュナの言葉ほど、力強く、心に訴えかけるかたちで語られた例は、ほかにはないでしょう。」
「(本書を書いた目的は、インドには)本物で、知る価値のある思想が存在することを示すことでした。それは、ヨーロッパでプラトンやアリストテレス、カント、ヘーゲルといった哲学者を学んできた私たちにとっても、決して無関係ではないものなのです。」
第三に、本書の高い資料的価値です。伝記・語録ともに、マックス・ミュラー博士の依頼を受けたラーマクリシュナの一番弟子であるスワーミー・ヴィヴェーカーナンダが、信頼のおける兄弟弟子スワーミー・サーラダーナンダに指示して収集させた資料に基づいています。マックス・ミュラー博士は学術的立場から、伝聞の過程で話が膨らむ「対話のプロセス」を好まず、ヴィヴェーカーナンダに対して客観的事実に基づく情報提供を厳格に求めました。知性と霊性を兼ね備えたサーラダーナンダによる資料の信頼性は、きわめて高いと言えるでしょう。後にサーラダーナンダ自身が執筆した伝記も、博士への情報提供のための調査や整理が土台となっています。また、博士がいくつかの情報の真偽について不明であると指摘したことが、サーラダーナンダにさらなる資料収集を促す契機となった可能性もあります。
(マックス・ミュラー博士の素顔)
マックス・ミュラー博士の人となりについて、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダが一八九六年に博士の自宅を訪ねた際の回想録(『スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯 東洋と西洋の弟子たちによる」』より)を引用します。
「マックス・ミュラー教授とは、なんと非凡な人物なのだろう。私は数日前、彼を訪ねた。いや、彼に『会う』というより、『礼拝に赴いた』と言うべきだった。なぜなら、たとえ宗派や国籍が何であろうとも、シュリー・ラーマクリシュナを敬愛する者のもとを訪れることは、私にとって巡礼にほかならないからである。
『教授、ラーマクリシュナは今、何千人もの人々に崇拝されています』と私が言うと、彼は『もし彼のような人を礼拝せずして、誰を礼拝するというのでしょうか』と答えた。教授は非常に親切で、オックスフォードを案内し、駅まで見送ってくれた。『ラーマクリシュナ・パラマハンサの弟子に会える機会はそうそうありませんからね』と教授は言った。
私は言った。『いつインドにいらっしゃいますか? インドの人々は皆、あなたを心から歓迎するでしょう。』 そのとき、老聖者の顔は輝き、目にはうっすらと涙が浮かび、穏やかにうなずいて言った。『そのときには、私はもう帰らないことになるでしょう。私をそこで火葬してもらうことになります。』 それ以上の質問は、人の心の奥深くに秘められた神聖な領域への、無遠慮な侵入に思えた。」
(本書翻訳のスタンス)
本書の翻訳にあたっては、できる限り平易で読みやすい文章とすることを心がけました。とりわけ腐心したのは、ヒンドゥー教の基本概念等に関するマックス・ミュラー博士の学術的解説部分です。
本書は、一般的な読み物としての性格と、学術的書物としての性格という、二重の性格をあわせ持っています。伝記部分のうち、ラーマクリシュナの生涯の出来事に関する箇所や語録の部分は、マックス・ミュラー博士が提供された資料をほぼそのままの形で採用しており(語録では、多少表現は異なるものの、実質的に同一の言葉も割愛されることなく収録されています)、比較的読みやすい内容となっています。そのため、この部分は省略せず、すべて翻訳しました。
それに対して、伝記部分に付随する学術的解説、とりわけヴェーダーンタ哲学に関する箇所は、難解で分量も多くなっています。そこで、こうした学術的解説については、多くの読者にとって障壁となりかねない細かな専門用語や詳細な考察を適宜割愛し、要点を絞って訳出しました。また、この部分に限らず、理解を助けるために必要に応じて「訳者注」を加えました。
伝記部分は、分かりやすさのため、「ですます」体にしました。一方、語録(教え)については、ラーマクリシュナの素朴な語り口を生かすため、親しみやすい言葉を選びつつ、「である」体を用いることで聖者としての格調を保つよう努めました。彼の言葉には、大地の香りを思わせる素朴さがあります。身近な生活や風景をたとえに用いながら高遠な哲学を鮮やかに説くラーマクリシュナの教えは、時代を超えて読み手の心に深く届くことでしょう。
なお、ラーマクリシュナの助言は、常に相手の環境や資質に即したものでした。個々の言葉が発せられた背景をより深く知るためには、後年に出版されたM(マヘンドラナート・グプタ)による『ラーマクリシュナの福音』を併読されることをお勧めいたします。 二〇二六年一月三十一日 荒木光二郞