ブラームス 交響曲第一番(2007年5月)
(音楽愛好家同士の話は、本当に楽しいものです。これは、ある人からブラームスの交響曲第一番のCDを貸してという話があったときに、持っているCDをお貸ししたときのノートです。ご自身が大変つらい経験をしたとき、ブラ1に慰められ、助けられたそうです。この人は、お貸ししたCD全部聴いて、バーンスタインが一番よかったという感想でした。ウィーンフィルとバーンスタイン、本当に素晴らしいコンビです。ところで、今ならTidalやAmazon Musicでブラ1を、数十曲は聴いて比較することができますが、このように貸し借りして感想を言い合えるCDにはCDのよさもあったと思います)。
名曲の条件
ぼくにとって名曲とは、何度聴いても絶えず新鮮な喜びを与えてくれる曲。思わぬ新しい魅力が発見できる曲。
好きな風景のように、生きる元気を与えてくれる曲。
そう、こう言える曲。
永遠の新鮮な喜び! Ever New Joy !
決定的名演
リスナーにとって、好きな名曲の名演を聴くことは、大変な喜びだ。
では、決定的名演はどのようなものだろうか?
「決定的名演」というイデアがあって、それに一番近い演奏のことだろうか?
そのように考えていた時期もあった。
でも、名曲に唯一の決定的名演など存在しないと、ぼくは今では思っている。
桜は毎年咲くが、来る年毎になにがしかの新しい感動を与えてくれる。
夏の青空に浮かぶ雲は、同じように白いが、同じ形のものは一つもない。
感動は、「一期一会」のもの。それぞれの演奏家の個性を最大限に発揮することで、無限の多様な新鮮な喜びを与えてくれることこそが名曲の名曲たるゆえんなのだ。
ブラームス第一番
そのような名曲の一つに、ブラームスの第一番がある。
人生のたそがれを感じさせるような、諦観に満ちた、重厚で渋い味わいのある、それでいて熱い情熱のたぎる、ロマンチックな曲。
永遠の名曲であるだけに、新しい演奏、古い演奏、すばらしい名演が多い。私は次の13枚を持っている。どの演奏も捨てがたい。
1.カール・ベーム ウィーン・フィルハーモニー 1975年 14:13(第一楽章の演奏時間。指揮者のテンポの目安にしてください。以下同じ)
イン・テンポで、ゴシック建築みたいなどっしりした演奏。どの部分もきちんと整いすぎて、あまりにも楷書的で、官僚的な演奏と言えなくもないが、ベームの古典的な構成を重視した見事な音楽性とウィーン・フィルハーモニーの本質的にはしなやかな音とが相まって、深い感動を与える。やはり、一時代を築いた指揮者だけのことはある、堂々とした立派な演奏。
2.カール・ベーム ウィーン・フィルハーモニー 1975年(東京ライブ) 14:00
基本的には1.と同じだが、ライブらしい、大変熱い名演。日本でベームは大歓迎されたし、ベームはそんな日本が大好きだったみたいで、ウィーン・フィルハーモニーともども気持ちよく熱くなっている。楷書的な演奏とは打って変わって、大迫力。楽員も、「めったにない名演」と太鼓判を押している。
3.ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー 1977年 13:15
カラヤンは、言わずと知れた二十世紀最高の指揮者だ。「カラヤンの演奏があれば、他は要らない。カラヤンが決定版だ。」と感じる曲は大変に多い。一部の人がけなすブルックナーも、カラヤンが決定版と思う。ただし、ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームスについては、ライバルが多すぎる。歴史に残る名演がこうもひしめきあっていては、カラヤンといえども「決定版」にはなりえない。
1977年は、カラヤンの名声が絶頂にあった時期。カラヤン流の機能主義・耽美主義をいきつくところまで推し進めた、一つの究極の演奏。やっぱりうまい。しかし、細部は見事だが、途中スピーディーで音楽が流麗に流れすぎ、レガートはかけすぎ、と感じる部分もある。いわゆる「カラヤン節」が鼻につくのだ。ただし、「カラヤン節」もなかなかよいもんだ、と思える気分の時は、最高の名演として気持ちよく聴ける。
4.ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー 1987年 13:26
見事な演奏だ。1977年録音も高水準の演奏だが、それを上回る。カラヤンのこの曲の録音の中で最高(ベートーヴェンは、1960年代前半のものが圧倒的な迫力と、まだカラヤン色に染まりきっていないベルリン・フィルのうまさから、最高)。オケもすばらしい。確か、ベルリン・フィルとすでに決別したが、既契約の関係からレコーディングしたもの。カラヤンの最晩年の演奏。
5.クリストフ・フォン・ドボナーニ クリーブランド・フィルハーモニー 1986年 13:58
音質がよい優秀録音。ぼくは、この演奏をオーディオ・チェックに使うことがある。低音がよく出ており、ストリングスを主体にオケのレベルも高水準。テンポは中庸がとれており、緩徐部分を情緒豊かに歌わせる。コンサートに行って生演奏でこのレベルの演奏に巡り会えたら、心底感激して一生忘れないだろう。
6.レオニード・バーンスタイン ウィーン・フィルハーモニー 1981年 17:36
ワルターを心の師と仰ぐだけに、感情の起伏が細やか。ユダヤの濃い血のせいか、よりロマンチック。それに熱くダイナミック。
ベームの時の厳格なイン・テンポ、ゴシック建築のような重厚さは陰を潜め、ウィーン・フィルハーモニーから本来のみずみずしいしなやかさと美しさを引き出している。オケの自発性は引き出しているが、やはりバーンスタインは情熱と情感、美的感覚に優れた大指揮者。大変すばらしい演奏と思う。
7.フルトヴェングラー ウィーン・フィルハーモニー 1952年 14:29
昔は、なぜこのような演奏が可能だったのだろうか。堂々とした、確信に満ちた、スケールの大きな演奏。テンポが急に変わるが、曲全体を通して聴くと、必然のように感じる。
細部については、フルトヴェングラー以上に細かく彫塑された演奏は多いが、全体を通した曲のスケール感は随一。
ただし、フルヴェンには、他のオケと振ったブラ1がある。この演奏の音質はよくない。
8.ロリン・マゼール クリーブランド・フィルハーモニー 1975年 17:22
思い切った鮮烈な演奏が得意だったマゼールだが、そうした激しさが前面に出ず、ここでは堂々とした迫力ある演奏を見せる。通常の版に比較して反復が一つ多いのは、バーンスタインと同じ。
9.クラウディオ・アバド ウィーン・フィルハーモニー 1980年 14:31
アバドは、音場の広がりにも敏感な、美的感覚の繊細な指揮者だ。これは、ウィーン・フィルハーモニーの本来の特性を活かした、模範的な名演。
ベームはもとよりバーンスタインよりも一層ウィーン・フィルハーモニーの自発性を活かしているが、三流の凡庸な指揮者がウィーン・フィルハーモニーに勝手に演奏されて名演を「振らされる」のとは訳が違う。音の分離がよく、各パーツのバランスもよく、アンサンブルもよく揃い、オケと音楽の流れを指揮者が的確にコントロールしている。ただ、アバドは本質的にはオペラ指揮者だと思う。
10.小澤征爾 サイトウ・キネン・オーケストラ 1990年代? 13:10
すばらしいオケだ。うまさから言うと、ウィーン・フィルハーモニーやベルリン・フィルハーモニー、パリ管弦楽団など、世界中のあらゆるトップ・オケと対等な立場で比較を論じることができる。サイトウ・キネン・オーケストラのブラームスは定評がある。
小澤の音楽的センスもレベルが高く、日本人として誇りに思える世界水準の演奏。
11.シャルル・ミュンシュ パリ管弦楽団 1968年 14:43
昔からこの曲の決定版として知られてきた、超絶的名演。冒頭のティンパニからして大変な盛り上がりを見せ、クライマックスの後のカタルシスを味わうことができる。
パリ国立管弦楽団は、どんなに激しくても洗練された味わいは失わない。あまりにうますぎるオケだと、ストリングスの音がやせてしまうが、パリ管弦楽団やコロンビア管弦楽団は音やせしない(きらいな人は気にくわないらしい)。
12.ブルーノ・ワルター コロンビア管弦楽団 1959年 14:06
「オケの質・量(団員の数)・録音時期・リハーサル時間」という四重苦にもかかわらず今でも輝きを失わない。
ハリウッド映画の録音が重要な生業だった奏者を寄せ集めた臨時オケで、しかもリハーサル時間なんて、本番録音の当日に1時間か2時間あるかないかぐらい。でも、指揮者の手書きのスコアのコピーを使って、皆必死で練習していた。また、楽団員はワルターを心から愛し、ワルターも団員たちを愛していた。指揮者とオケの息もぴったり合っている。
低音が分厚く、安定感がある。激しさではミュンシュに負けるが、緩徐部分の肌理の細やかさ、やさしさ、ロマンチシズムは実に見事で、表現のダイナミック・レンジは広い。全体通してみると豊潤で美しく優しく、悲しくカタルシスに満ちた感動と、それでいてやりきったという充実感を感じさせる演奏となっている。
それにしても、ワルターは晩年に変わった。かつて、第一次世界大戦後は変化自在のたゆたうような、ある意味耽溺的な「夢見るロマンチスト」だったのが、自由奔放さと古典的中庸さのバランスをうまくとった、味わい深い指揮者となった。
13.クルト・ザンデルリンク ドレスデン・シュターツカペレ 1971年 14:38
伝統的な、実にオーセンティックな、本格派の演奏。「いぶし銀のような」と評される、ドイツ的な、あまりにドイツ的なオケを、何のてらいもなく、さらっと振っている。あっさりしているだけに、何度聴いても聴き飽きない。噛めば噛むほど味の出る、するめのような演奏。とりわけ音楽を聴くことでブラームスと対話したい気分の時には、一つの究極の模範的演奏と言って差し支えないだろう。
総評
オケでは、ウィーン・フィルハーモニーが最高。音質的には、やはり80年代以降が格段によい。
繊細な美的感覚の持ち主であるアバド・小澤はとてもよいが、昔のフルトヴェングラー・ワルターの演奏に比較し、優等生的でスケールにやや欠ける気がする日もある。
今日の気分で、好きな、酔える演奏をあげてみよう。明日選ぶと、また別の演奏になるだろう。
ミュンシュの熱い演奏は、やはり心に響くし、カタルシスを感じ、聴き終わると爽快になる。豊潤なやさしさのあるワルターの演奏も立派に燃え尽き、疲れた心を癒してくれる。どちらも、夾雑物がなく、感動の純度は限りなく高い。
何と、50年代、60年代のステレオ録音になってしまった!こうしてみると、演奏って、録音やオケの立派さだけではないんだなあ、と改めて思う。
(2007年5月5日)