あるインドの聖者がみた日本(2015年6月、ロータリークラブ卓話)
2015年6月27日 徳島ロータリークラブにおける会員卓話
今日の話は、あるインドの聖者がみた日本についての話です。ロータリーの超我の奉仕や4つのテスト、というテーマとも関連しますし、経済の長期低迷に悩み、自信を失ってきた現代の私たち日本人にとって、日本人の持っている資質の素晴らしさを再認識させ、勇気づけてくれるものでもあります。そのインドの聖者は、日本でいうと、吉田松陰と坂本龍馬と西郷隆盛を合わせたくらいの人気があります。インド人は親日的です。ひとつには日露戦争で日本がアジアの国として近代史上はじめて欧米列強に勝利したこととがあります。もう一つには、その聖者が日本のことをきわめて高く評価していたことも影響していると思います。
その聖者の名前は、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダといいます。ガンジーやネールをはじめとする革命の志士たち、インドの歴代の首相や大統領、一般大衆など、ありとあらゆる階層の人たちから絶大な人気があります。今のモディ首相も、政敵であったシン首相も、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダをインドの代表的な偉人であるとみなすことでは変わりありません。インド政府は一月十二日のスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの誕生日を、「青年の日」という国民の祝日に定めています。
西洋ではトルストイがヴィヴェーカーナンダに心酔していました。ノーベル文学賞を受賞したロマン・ローランは「スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯」という伝記を書いています。そして、ヴィヴェーカーナンダの言葉を、ベートーヴェンの主題とヘンデルの合唱曲に譬えています。このほか、ジョン・ロックフェラー、ニコラ・テスラ、歴史学者のアーノルド・トインビーなどがヴィヴェーカーナンダを高く評価する言葉を残しています。
日本では、岡倉天心や横山大観がスワーミー・ヴィヴェーカーナンダに実際に会い、影響を受けています。また、今の安倍首相は、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダのことを「近代インドの産んだ偉大なる精神的指導者」と評しています。
昨年、インドのモディ首相が日本に来日し、安倍首相と会談しました。その際、モディ首相は安倍首相に二冊の本を贈呈しました。一冊はヴァガバット・ギータという本です。マハー・バーラタという、インドの有名な長編叙事詩の一部をなすもので、クルクシュトラの大合戦の前、勇者アルジュナは敵の陣営にかつての友人や先生や親せきの姿を見つけ、動揺します。これに対し、山田ガバナー・エレクトのお話にも登場する、神の化身(神の化身のことを、サンスクリット語でアヴァターといいます)であるヴァガヴァン・クリシュナがさまざまなヨガの教えを説くというお話です。ヴァガバット・ギータはヒンズー教の新約聖書とも呼ばれており、ガンジーは、およそ霊的な問題であれ、政治的な問題であれ、ヴァガバット・ギータにより解決の指針が示されない問題はない、と語っています。この中で説かれている代表的な四つのヨガは、カルマ・ヨガ、バクティ・ヨガ、ギャーナ・ヨガとラージャ・ヨガです。カルマ・ヨガは、お金や名声などの見返りを求めず、非難されることも恐れず、公平無私に自分の仕事を行い、義務を果たすことを説いています。バクティ・ヨガは、神を愛すること(たとえば、神さまや仏様のみ名をいつも唱え、神様のことを思うこと)を説いています。ギャーナ・ヨガは識別(哲学的内観の道)を説いています。般若心経の空観もその一種です。ラージャ・ヨガは瞑想を通じた悟りの道を説いています。いずれも、「私はこの肉体である。私は感覚である。私は知性である。私は自我である」というような小さな私、限定された『私』を超越する方法を説いています。
もう一冊が、「スワーミー・ヴィヴェーカーナンダと日本」という英語の本です。著者は、スワーミー・メダーサーナンダというお坊さんで、現在日本の逗子に住んでおられます。ヴァーラーナシー(ベナレス)に関する千ページを超える極めて大部の本を書かれ、インドでは確か有名な大学の学長さんもやっておられた方だと思います。話は変わりますが、私は、もう足かけ6年くらいになりますが、メダーサーナンダさんに頼まれて、ヴィヴェーカーナンダやその兄弟弟子たちがみたヴィヴェーカーナンダの先生であるラーマクリシュナの回顧録「私たちがみたラーマクリシュナ」という本をボランティアで訳し、2か月に一回出版される「不滅の言葉」という雑誌に連載しているところです。ある晩、たどたどしい日本語を話す外国人から電話があり、翻訳を頼まれました。それがメダーサーナンダさんでした。以前メダーサーナンダさんを逗子まで訪ねていったことがあります。そのとき、翻訳が趣味であるという話をしましたので、そのことを覚えていらっしゃったのだろうと思います。
それからモディ首相は、来日した折、九段下にあるインド大使館の大ホール(大変立派なホールです)を「ヴィヴェーカナンダ・ホール」と命名しました。
モディ首相が安倍首相にヴィヴェーカーナンダと日本についての本を贈ったことには、伏線があります。安倍首相は平成19年に日本の首相としてはじめてインドの国会で演説しました。そのときの演説は、「二つの海」というタイトルで、テーマはインドと日本のきずなや世界平和についてでした。その演説は、この種の演説としては驚くほどの好評を博しました。インドでは、すばらしいと思った場合、演説中に「ブラボー」と叫んだり、拍手をしたりするのではなく、賛意を示すために自分の机をバンバンとたたくのだそうですが、演説の途中、インドの大勢の国会議員のバンバン、と机をたたく音が鳴りやまず、ものすごかったそうです。この話は、私は当時インドの日本大使館に出向し、安倍首相のインド国会における講演を実際に聞かれた財務省の末光さんという方に、直接教えていただきました。また、演説が終わった後は国会議員が総立ちになって、惜しみない拍手を送ったということです。
安倍首相の演説は、シカゴ宗教者会議におけるスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの言葉ではじまっています(『様々な場所に源泉を持つ様々な川の流れも、一つとなって海に流れ込む』。インドが生んだ偉大な宗教指導者、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの言葉をもって、本日のスピーチを始めることができますのは、私にとってこのうえない喜びであります)。これは、宗教の外形は様々で異なっているけれども、究極のゴールは同一である、という意味ですが、安倍首相は、日本とインドは一体である、という意味で使われたのだと思います。演説の中盤では、日本とインドの強いきずなの例として、ヴィヴェーカーナンダと岡倉天心の交流について触れています(「日本とインドの間には、過去に幾度か、お互いを引き合った時期がありました。ヴィヴェーカーナンダは、岡倉天心なる人物――この人は近代日本の先覚にして、一種のルネサンス人です――が、知己を結んだ人でありました。岡倉は彼に導かれ、その忠実な弟子で有名な女性社会改革家、シスター・ニヴェーディターとも親交を持ったことが知られています」)。
それから、再びヴィヴェーカーナンダの別の言葉を引用し、世界平和を日本とインドが協力し、一緒に促進していこうではないか、と訴えます(「インドが世界史に及ぼすことのできる貢献とはまず、その寛容の精神を用いることではないでしょうか。いま一度、1893年シカゴでヴィヴェーカーナンダが述べた意味深い言葉から、結びの部分を引くのをお許しください。彼はこう言っています。『戦いではなく、援助を。破壊ではなく、融和を。衝突ではなく、調和と平和を』。今日の文脈に置き換えてみて、寛容を説いたこれらの言葉は全く古びていないどころか、むしろ一層切実な響きを帯びていることに気づきます。私はインドの人々に対し、寛容の精神こそが今世紀の主導理念となるよう、日本人は共に働く準備があることを強く申し上げたいと思います」)。
岡倉天心は、インドに行きスワーミー・ヴィヴェーカーナンダと出会い、アジア文明の偉大さを再認識し、「東洋は一つ、その源はインド」であると確信しました。そして、「東洋の理想」という本と「茶の心」という本を英語で出版し、世界に日本が文化的にも野蛮国ではなく、深い精神性が備わった国であることを知らしめました。当時、国際的に無名であった岡倉天心が英語の本を出版することができたのは、ヴィヴェーカーナンダの弟子であるシスター・ニヴェーディターが、本の推薦文、出版社のあっせんを含め、すべてをおぜん立てしたからです。
岡倉天心がインドでヴィヴェーカーナンダと出会った際の第一印象は、天心自身が日本にいる織田得能という僧に送った手紙の中で書かれています。
『過般来当地に参りヴィヴェカナンダ師に面会致し候。師は気塊学識超然抜群、一代の名士と相見え、五大到るところ師を敬慕せざるはなし。而して師は大乗をもって小乗に先んずるものと論じ、目下印度教は仏教より伝承せることを説き、釈尊をもって印度未曾有の教主となせり。
師はまた英語を能くし、泰西最近の学理にも通じ、東西を綜合して不二法門を説破す。議論風発、古天論師も面目あり、実に得難き人物と存じ候。』
織田得能は、この手紙を読み感に堪えず、ただちにインドに向かって岡倉天心と合流しました。そして、ヴィヴェーカーナンダと天心と三人で一緒にブッダガヤを訪れます。
今日、東洋思想は世界の宗教思想の中で名誉ある地位を占めています。このことは、1893年のシカゴ宗教者会議で彗星のごとく登場し、39歳で亡くなるまでアメリカ、イギリス、インドで目覚ましい活躍をみせたヴィヴェーカーナンダの貢献抜きには考えられません。シカゴ宗教者会議は、コロンブスのアメリカ大陸発見400年を記念し、シカゴ万博と対になって開催された会議です。アメリカがその威信をかけて、総力をあげて開催した会議であり、万博に匹敵するくらいの力点が置かれていました。日本からはキリスト教、神道、それから仏教界の代表者(高野山真言宗管長 土宜法龍等)が参加しました。この会議で一夜にして世界的に有名になったのは、ヴィヴェーカーナンダでした。ヴィヴェーカーナンダが登壇し、「ブラザーズ and シスターズ」と一言挨拶したとたん、会場の聴衆は熱狂し、万雷の拍手が2分間ほども鳴りやみませんでした。他の代表たちがただ準備された原稿を読み上げるだけの儀礼的なスピーチを行ったのに対し、ヴィヴェーカーナンダは聴衆に対し、自分の言葉で、親しみを込めて語りかけたからです。まだ演説を聞く前から、今日生まれてはじめてみる、インドの青年僧が醸し出す誠実で温かなオーラに、聴衆は熱狂しました。そして、演説を聞いて聴衆はまた熱狂しました。新聞はこぞってヴィヴェーカーナンダの言葉を伝え、「会議における最も偉大な人物」であると評しました。ヴィヴェーカーナンダが主張した、それぞれの文化や宗教に価値があり、共存できることを認める考え方は、今では極端な原理主義者を除けばごく普通の考え方だと思いますが、当時は斬新だったのです。このように、ヴィヴェーカーナンダは当時、西洋の植民地として隷属に甘んじている東洋の世界から、はじめて敵愾心や卑屈さなしで、友情をもって西洋の友人に語りかけ、西洋の良識派から多くの信奉者を得ました。禅に関する多数の本を英語と日本語で記した鈴木大拙も、アメリカ滞在中にスワーミー・ヴィヴェーカーナンダを知ったことについて、感謝の念を込めて演説のなかで触れています。
今日はヴィヴェーカーナンダの思想について詳しく述べる時間はありませんが、ヴィヴェーカーナンダの言葉をいくつかご紹介します。
「いかなる魂も潜在的に神性を宿している。自分の性質を外面的にも内面的にもコントロールしてこの内なる神性を顕すこと、それがゴールだ。教義、儀式、聖典、寺院などは瑣末事に過ぎない」
「すべては修行にかかっている。自分で経験しなければ理解できない。説明や教義を聞くだけではだめだ」
「たとえ無数の神を信じることができても、自分自身を信じなければ解脱はない。決して失敗を恐れてはならない。もし千回失敗したら、さらにもう一度チャレンジせよ」
「未亡人の涙を拭えないような宗教や神は信じない。一切れのパンを孤児の口に運べない宗教や神など信じない。ただ他者のために生きる人だけが本当に生きている。純粋であり他者に善をなすこと、それがあらゆる礼拝の要点だ」
私がヴィヴェーカーナンダを好きなのは、究極の悟りと高度な知性と強固な意志、そしてやさしい心を兼ね備えていたからです。ヴィヴェーカーナンダは、苦悩にあえぐ者に深く心を寄せて一緒に苦しみ、時には声をあげて泣きました。貧しい、苦しんでいる人の中に神を見て、愛し、仕えること、というヴィヴェーカーナンダの思想は、マザー・テレサと同じです。事実、マザー・テレサもヴィヴェーカーナンダのことを高く評価していたということです。
さて、今日の主題は、「あるインドの聖者がみた日本」についてでした。ヴィヴェーカーナンダと日本との関係は、1893年、彼がインドから世界宗教者会議に参加するため米国に向かう途中、日本に立ち寄ったときから始まります。この年は、日清戦争がはじまる前の年でした。ヴィヴェーカーナンダはこのとき、約三週間日本に滞在し、日本滞在中に見聞したものを称賛しています。日本国民の愛国心、勤勉、倫理観、美的センスなどに着目し、その資質が優れているとほめ称えたのです。
まず日本の第一印象を手紙でインドに次のように書き送っています。
「最初に入港したのは、長崎でした。数時間上陸して馬車で町を巡りました。日本人は世界で最も清潔な人々です。すべてがきちんと整頓されています。ほとんどの通りが幅広く、まっすぐで均一に舗装されています。小さな家々は鳥かごのようで、町や村のほとんどが松の木々に覆われた常緑の丘を背景としています。背が低く、色白で、風変わりな身なりの日本人は、身のこなしや立ち振る舞いなどのすべてが絵のようです。日本は絵になる国です!」
またヴィヴェーカーナンダは、友人で信者だった人に次のように語っています。
「できれば独身の大学卒業者を日本に送り込んで、技術面での教育をさせたい。裕福で教養のあるインド人が一度日本に行けば、目から鱗が落ちるだろう。彼らが持ち帰る知識は、インドにとって最大の利となるだろう。どんなに素晴らしいことだろう」
「なぜイギリスよりも日本なのですか?」
「日本では、知識が見事に消化されていて、インドのような消化不良を起こしていない。すべてをヨーロッパから取り入れていながら、同じ日本人であり続けている。西欧化してはいない。しかるに我が国では、まるでペストのようにひどい西洋かぶれに陥っている」
当時、東洋は西洋文明に圧倒されていました。日本では浮世絵は価値がないがらくたとみなされ、二束三文で処分されました。貴重な作品が永久に失われ、あるいは海外に散逸しました。インドでは宗教が後進性の象徴とみなされ、神様の像は偶像とさげすまれました。しかし日本では岡倉天心が日本の美術を一層の衰退から守り、逆に横山大観のような天心の弟子が新しい境地を切り開きます。インドでは、ヴィヴェーカーナンダがヴァガバット・ギータをはじめとするヒンズーの教えが普遍的な価値を有していることをインド国民に気付かせます。このことを考えると、ヴィヴェーカーナンダと岡倉天心が肝胆相照らしたのも道理であるとうなずけます。
更に、新聞のインタビュー記事で日本のことを次のように語っています。
「日本では何をご覧になられましたか?またインドが日本の進歩的な歩みに学ぶ機会はあるでしょうか?」
「インド三億人が一つの国家としてまとまるまでは、ありえないだろう。日本人ほどに愛国的で芸術的な人種は世界に例を見ない。そして独特なのは、ヨーロッパ他の芸術が一般に乱雑なのに対して、日本の芸術は整然としていることだ。インドの若者達が生涯一度は日本を訪れることを望んでいる。日本の仏教はセイロンに見られる仏教とはまったく異なっていて、ヴェーダーンタと同じだ。肯定的で有神論的仏教である」
「日本が躍進した秘訣はどこにあるのでしょうか?」
「日本人が自分自身を信じていること、そして母国への愛だろう。母国のためにすべてを犠牲にする覚悟ができて、骨の髄まで誠実な国民が立ち上がる時、インドはあらゆる面で偉大になるだろう。国を作るのは、人々だ!日本の社会的道徳と政治的道徳を得るなら、同様に偉大になれるだろう。日本人はすべてを母国のために犠牲にする覚悟ができている。偉大な国民となった」
「彼ら(日本人)は芸術のゆえに国民としても偉大なのだ。彼らは、われわれと同じようにアジア人ではないか?われわれはほとんどすべてを失ったけれども、われわれが今も所有しているものは、すばらしいものだ」
「いまわれわれが必要とすることは、芸術と有用性との結合だ。日本はそれを実に敏捷になしとげた。だから日本は巨大な歩みをもって進展したのだ。いまや反対に日本人は西洋人に教えようとしている」
私は、ヴィヴェーカーナンダがいう「挙措動作がすべて美しい」、「芸術において偉大」という評価は、和食、茶道、それに自動車などのモノ作り、スポーツなどにおける徹底したこだわり、ひたむきさ、求道の心、匠の技、繊細な美意識のことを指しているように感じています。また、愛国心は、国の利益を自分のことよりも愛を持って優先する心構えのことですから、対象が国ではなく他人となる場合は、「おもてなしの心」、「お接待」となるのではないか、と思っています。
私は、日本がこの美徳を失わない限り、日本が将来衰亡することはない、と考えています。その意味で、安倍首相がヴィヴェーカーナンダ生誕百五十周年の祝辞で述べられていることについては、私もまったく同感です。
「近代インドの産んだ偉大なる精神的指導者スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生誕百五十周年を祝う様々な行事が、インド国内だけでなく我が国日本を含む世界中の国々で開催されることを知り、大変嬉しく思います。
スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは、千八百九十三年米国のシカゴで開かれた世界宗教者会議において、すべての宗教間の対話と調和の大切さを説くことで、世界平和と人類和楽を実現するための哲学的基礎を築いてくれました。
そうした人物が、米国に向かう途中日本に立ち寄って三週間滞在し、日本人の道徳的観念の高さや青年たちの愛国心の強さに深く感銘した経験を、当時のインドの青年たちに伝えておりますが、そのことを現在の日本人が再び想起して自信を取り戻し、自国のみならず世界中の国々の繁栄と、人類社会の幸福を実現するため、一層の努力を尽くしてくれるよう願ってやみません。
終わりに、この近代の精神的巨人の生誕百五十周年を祝う記念行事が、成功裡に執り行われますよう、心よりお祈り申し上げます
日本国内閣総理大臣 安倍晋三(二千十三年五月二十一日)」
今日は、私が大好きな話をさせていたくことができ、大変うれしく思っています。ご清聴、ありがとうございました。